骸骨絵の逸話   

 

 火事で燃えてしまった作品が26年間の歳月を経て、私の目の前に突然現れたのですから驚きました。インターネット時代の不思議な出来事。

それは、今から28年前のことになります。当時、22歳でした。あるコレクター氏に『個展を開催してあげるから、作品を制作してくれないか』と持ちかけられました。ちょうど、個展をしたいなと思っていた時期だったのですぐに承諾しました。会期も迫り、コレクター氏と経費等の確認をしながら話を進めました。契約書等は交わしていない状態ではありましたが、不安はひとつもなかったです。現在でも、画家と画商は契約書ではなくて口約束で作品依頼する場合が多々あるのです。ビジネスとして考えるならかなり変なシステムです。さて、展覧会も無事に終わったのですが、絵があまり売れてはいなかったのでこちらとしては、少々気まずい思いをしていました。と、その時、コレクター氏から『作品が売れていないから絵を一旦全て預けてくれないか?』と言うのです。うむっ・・・。経費がかなり掛っているし、このままでは、採算が取れない状態にあったので了解しました。

コレクター氏の自宅に作品を運び込み、各作品と大きさを確認しながら預ける作品の枚数をリストアップしました。

この時、疑うことを知らない私は、コレクター氏が神様のように見えていました。 

~それから、ひと月くらい経過したある日、絵を預けたことが心配で、コレクター氏に電話をしました。コレクター氏は不機嫌そうな口調で『今後のことについて、食事でもして話をしようじゃないか?』と、持ちかけられ、後日、指定の場所で落会うことになりました。 当日、約束したレストランの駐車場には彼の車があったので、コレクター氏が来ているはずなのですが姿が見えない。 しばらくレストランの入り口付近で店内を見回したところ、トイレから出て歩いている姿が目に止まりました。『遅くなりました!』 『おお、まあ座りたまえ。』 ところで、預かった作品だけど売れ行きが良くないので、もう暫く貸してくれないか? 即座に私は、良いです。と返事してしまい。暫くして・・。『期限付きで如何ですか?』と切り返した。

コレクター氏は、『それじゃあ、半年貸してもらう。』 『それでは、物品受領書を書いて頂きませんか?』 と言うと、『わかった、そうしよう。後で郵送するから心配するな。』と答えました。

半年は少し長いが、住所や連絡先はわかっている人だから信用しました。それに、絵が売れないと、こちらとしても困ることになるから、コレクター氏を信用してレストランを出ました。 

後日、物品受領書は郵送されて来ました。コレクター氏はやはり良い人だったのか。でも、気になることがありました。彼のメガネの奥の鋭い眼差しは、瞼のない爬虫類のように冷酷でした。

~半年は長過ぎたのか?自問自答しながらいつも預けた絵のことを考えて5か月が過ぎました・・・。月日が経つと大切な作品を預けたことも、最初とは違う気持ちになってきます。預けたことを忘れた事はないのですが・・・。物品受領書も手元にあるという安心感もあり普段と同じ生活を続けていました。 ところが、期限が迫ってきたある日のことです。私の母が病に倒れてしまい、病院に行ったり来たりで、預けた絵のことなど、すっかり記憶から無くなってしまいました。母は一か月以上静養も兼ねて病院に入っていました。

さて、そんなことがあり預けておいた作品も返却期限を大幅に過ぎたので、コレクター氏に絵を返却するように連絡するのですが、コレクター氏に連絡すると『今は忙しからもう少し後で連絡してくれないか?』  やはり、この人は・・・詐欺師なのか・・?!あのレストランで彼の爬虫類のような冷酷な眼差しを思いだすと、不安が不安を呼び益々不安になって来るのを全身で感じました。

このままでは絵を取り返せないと思い、翌日、コレクター氏の自宅に車を走らせたのです。

やっぱり、コレクター氏は作品を返さないつもりなのか? 必ず取り戻してやるからな!

~それにしても、コレクター氏はどういうつもりなのか?車を走らせながら、彼のことが頭の中でグルグル回って離れない。作品を返してくれなければ、訴えることも考慮していたのですが、その方法も分からず心の中でつぶやくだけでした。相手が何を考えているのかわからない。車中どのように切り出そうか、考えながら運転を続けました。 焦り・憤り・不安が混在して心臓の鼓動も早くなり息苦しくなって来ました。必ず取り返してやるからな!やっとコレクター氏の自宅前に到着して車を降り、玄関のドアをノックしたのですが、聞こえるのは、部屋の中のFMラジオの音楽と近くの道路工事の騒音、車が走る爆音だけでした。このあたりは、交通量も多く道路工事も頻繁に行われている地域でした。

FMラジオをつけているという事は、そんなに遠くには出かけていないと思い、暫くコレクター氏の自宅が見える近くの喫茶店で時間を潰し、コレクター氏の帰りを待つことにしました。ちょうど、一時間くらい過ぎた時、喫茶店の小窓からコレクター氏が戻ってきたのを確認しました。店を出て再び玄関のドアをノックしたのです。 ドアを叩いた瞬間に扉が少し開き、部屋の中の匂いが鼻先に刺激を与え顔が自然に歪みました。そして、暗闇に溶け込むように、キラリと光るメガネ枠だけが眼前に飛びこんできました。メガネ枠の中をじっと見つめると山椒魚のような冷酷な瞳だけがこちらを見つめていました。『誰だ!何の用だ!』 地の底から響くような声を聞いた瞬間、心臓の鼓動がさらに高まったのです。

決着をつけるつもりでコレクター氏にわざわざ会いに行ったのですが・・・。

~玄関でコレクター氏に罵倒された言葉は今でも覚えています。それにしても、いきなり怒鳴りつけられるとは思ってもみなかったことでした。 『あっ、君か?』

コレクター氏が慌てている様子が感じられました。コレクター氏は愛煙家であったのか玄関先まで煙草の匂いが充満していたのです。玄関先の匂いは強烈だったのですが、部屋に入ると慣れてきました。とはいえ、煙草嫌いの私には毒ガスのような悪臭でした・・・。 『まあ、上って行きなさい。』 『さっき、友人と口喧嘩したものだから・・・・。』と、言葉を濁しているようでした。 『あっ、すみません。連絡もしないで来てしまって。』 『では、お邪魔させて頂きます。』 と言いながら靴を脱ぐと奥の部屋に通されました。 暫くして、婦人にお茶とお菓子を差し出されました。 『すみません。突然にお邪魔して。』 『 いいえ、どうぞごゆっくり。』と、あまり歓迎されていない雰囲気が伝わりました。奥の部屋は10畳くらいでした。 部屋の壁には沢山の油彩や日本画・リトグラフ等がびっしり掛けられていました。中には有名作家の作品も数点ありました。床にも絵が立てられていました。その中に私の作品も数点見つけました。

自身の絵の前に歩み寄り、久し振りの再会に感激していた時、背後から、低い声が聞こえてきました。『君の作品、中々難しいんだよねぇ。』 振り向くとコレクター氏が立っていました。 『はい、一般的な作品ではないですから売れないのですね。』 『そうなんだ。もう少しわかり易いモチーフを入れるとかなぁ。でも、それを承知で個展を開いてやったのだが、当てが外れたな。まあいい。』 コレクター氏は本音を呟きました。

そして、いきなり早口になり『君、額縁代金を払わなければならないので大変なんだよ。それに、画廊借用料が高かったからね。案内状印刷もな。』 それもすべてそちらで用意するからと言われたのでは、と、切り返した。『馬鹿なことを言うな!全て折半で契約したはずだ!』とねじ伏せられました。 そんな契約はしていないはずなのですが、証拠がありません。

しまった!やられたな。 『では、折半にすると私の支払はどれほどなのですか?』

『次回までに計算しておくから今日は帰ってくれないか?』 調子の良い逃げ言葉に腹が立ちました。すかさず、今ある作品をすべて持ち帰りますからと作品数点に手を伸ばし段ボール箱に入れはじめました。とその時、『コレクター氏の口から預けてある作品を買い取るから、今日はこれで帰ってくれないか!』 と、黒く大きな革の財布から5万円を抜き取り、差し出されました。ここで、喧嘩別れになると作品が取り戻せないと思い、仕方なく差し出された5万円と作品数点を車に詰め込みこの場を去ることにしました。

やれやれ少しは取り戻せましたが、まだ、重要な作品は数点残されています。残っている作品の行方はどうなるのか?

~数点の作品を取り戻したのですが、何か奥歯にものが挟まった気持ちでした。期限付きの約束をして、期限が過ぎたのだから返却するのは当然と思いますが、まだ全部返して貰っていないし、買い取るという話は初めて出てきた話なのでこれから相手がどんな風に出てくるのか待つしかないと思いました。ところが、ひと月、経過してもコレクター氏からは連絡がありませんでした。こちらから連絡する気にもなりませんでした。 このままでは、全作品回収できないかもしれないと思いはじめました。 経費などの支払をして、全作品を戻して貰うようにしなければ永久に戻ってこないのではと思いました。それならば、支払額を稼いで全作品返却して貰った方が確実と考え、仕事を探しに出かけたのです。主に肉体労働をしていました。ようやく支払額に達した頃、体調が思わしくなくなってきました。朝早くからの仕事で夕方まで汗を流し、深夜2時頃まで絵を描いていたのですから無謀としか言えません。仕事と絵を両立して無理をしたのが原因なのか、吐き気・めまい・動悸・息切れがひどく鼻から血が出るようになりました。しばらく静養しなければいけない状態になってしまったのです。

そんな中、借りていた仕事場も出ていかなければいけなくなり最悪の状態になりました。 でもなんとか、助けて頂ける人が現れ難を逃れました。体調も少しずつ改善してきました。 その間、コレクター氏ともコンタクトは一切ありませんでした。時々思い出してはいましたが、以前のように、強行に踏み出す意欲は無くなり心の中が空っぽな状態になり暫く絵を描くことはできませんでした。

大切な作品だったのですが、記憶が消えるほど精神と肉体が弱ってしまいました。これからどうすればよいのか?

 

~10年後 あれから10年の歳月が流れました。~

~体調が戻るまで随分時間が掛りました。ある日ふと、預けた絵のことを思い出しました。かなり時間が経っているので今更と思いましたが、返却してもらわないといけない作品もあるので、早速、コレクター氏に連絡をしてみました。 『もしもし、○○さんのお宅ですが?』 『ああ、○○君か!』 色々な話をしましたが、病気になったことは言いませんでした。『それでは、明日、お邪魔いたしますがご都合は如何ですか?』 『明日の午後からなら良いですよ。』 『では、午後2時にお邪魔いたします。』 すんなり話ができたのは不思議でした。翌日、朝食を食べ終え新聞をいつものように読んでいると、見憶えのある名前が飛び込んできました。 

『○○市の住宅全焼、絵画コレクター○○○○○さん(58) 焼死 』 

えっ~!!!なんだって! 嘘だろぅ・・・・。驚きました。体が小刻みに震えてくるのを感じました。何でそんな事になってしまったのだろう。

今日の午後、会う約束をしていたのに、家が全焼でコレクター氏も亡くなってしまうなんて、信じられない。全焼ということはコレクションの作品も燃えてしまったのです。当然私の作品も灰になってしまいました。すぐに、行かなければと思うのですが、ショックで体の力が抜けてしまい、その日は、寝込んでしまい立ち上がれない状態でした。

翌日、朝早く現場に直行しました。

黒焦げになった家の柱と額縁らしき残骸や、キャンバスの燃えかすと消火剤が混じり合いなんとも言えない、鼻を突く匂いを放っていました。

地元新聞によると石油ストーブが何かの原因で炎上し、火を消している間に一酸化炭素中毒で亡くなったと書いてありましたが、私が連絡したことが原因で、発作的に家に火を付けたのではないか、と思い悩んでしまいました。昨日、コレクター氏に会っていればコレクター氏も死なずに済んだのかと思うと涙が溢れてきました。現場付近には、近所の人が献花したのか、花が沢山飾ってありました。自然に花に向かい、コレクター氏のことを想い合掌していました。

コレクター氏は不慮の事故で逝ってしまい、絵も火事で燃えて無くなってしまいました。ショックで体調がまた悪くなり痩せ衰えてしまいした・・・。

突然の出来事でコレクター氏は亡くなり、絵も燃えて無くなってしまいました。

ところが、不思議なことが・・・・・。

 

~ コレクター氏が亡くなってから 16年後 ~

インターネットで様々な情報が得られる時代の到来に、わくわくしていました。私もパソコンを購入して慣れない手つきで、検索サイトに必要な情報を得るために調べものをしていました。

そんなとき、世の中には自分と同じ名前の人間がどれだけいるのか、遊び半分で検索サイトに自分の名前を入力してみました。すると・・・・。沢山あるサイトの中で気になるサイトを見つけました。 何のサイトなのか最初は理解できませんでしたが、よく見ると推理作家さんらしき人物のサイトだということがわかりました。推理作家さんの日記に私の作品らしき題名と名前が記載してありました。

 

あれっ、この画像の右下の作品は何処かで見たことある作品だなぁ、ひょっとして~?よくみると~えッ~~。これは、26年前、火事で燃えたはずの作品ではないか?

どうしてこんなところにあるのか?? 画像を見ているうちに、だんだん心臓の鼓動が高まり、喉が渇き、手には汗が吹き出し、全身が高揚しているのがわかりました。

26年前、火事で燃えたはずの作品が推理作家さんの仕事場にあるのは理解に苦しみました。これは現実なのか?夢なのか?困惑しましたが、確かに自分の作品であるという確信はありました。早速、この推理作家さんに連絡をしようとしましたが、連絡のアドレスが見つからない。早くしないと・・・・・。焦る焦る・・。どうしようもないのかと思っていたら、関連のある掲示板らしきサイトを見つけその思いを伝えました。すると運よく、直に連絡がありました。普段は全く見ない掲示版をその時に限り、偶然にご覧になったらしいのです。これも何かの巡り合わせなのかもしれません。よりにもよって推理作家さんが所有していたとは?驚きました。先生からお手紙を頂きました。

 

 三輪様

『今回のこと非常に不思議な出来事で驚いています。普段はあまり見ない掲示板なのですが、偶然に見つけ三輪さんの連絡場所が書いてあったのでご連絡差し上げました。作品は2年ほど前、インターネットで購入しました。実は、私は骸骨が大好きで集めています。絵の中に骸骨が描いてあったのでどうしても欲しくなり購入しました。』   推理作家 折原 一

 

と書かれていました。 後日、是非絵をみたいと申し入れたところ、快く引き受けて頂きました。 

それにしても、26年もの間、どのような人がこの作品を所有していたのか。ここまで来る間に、かなりの数の人間が関わっていると思いました。見つけたその日は、興奮して眠ることができませんでした。いよいよ、絵との対面です。

~指定された日に、推理作家さん(折原一氏) のお仕事場に訪問させて頂きました。玄関に入ると、そこは、魔界のゾーン、壁面は骸骨や黒い不気味な油彩画で埋め尽くされていました。奥の部屋に入るなりすぐにコーヒーを出して頂けました。推理作家さんの仕事場に入るのは初めてなので少し緊張しながらの会話でした。暫くして部屋の奥から、26年前火事で燃えたと思っていた作品を持ってこられたとき、行方不明だった人に会えたという気持ちで胸の鼓動が高まりました。シュウさん? 『この作品ですが・・』 舐めるようにガラス越しの作品を見回し 『間違いないです。私の作品です』 先生、『ちょっと裏側を見たいのですが?』 裏側を見ると私が26年前に書いたサインと 題名 『死と少女』 間違いない筆跡も自身のものと確認しました。それから、コレクター氏の覚書がありました。 おそらくコレクター氏が独自に付けた題名か、何かの覚えで書いたのでしょう。そこには、コレクター氏が好きだった『山椒魚這う』 としっかり書かれていました。詩人でもあった彼は『山椒魚』という詩集を自費出版していました。 そういえば詩集を貰った覚えがありました。『この作品どうしましょう?』  『できれば、私に返して頂きたいのですが?』  『そうですか。それでは、私、骸骨が大好きなので、新しく骸骨作品を描いて頂き、この作品と交換しましょうか?小さな作品で良いですからね。』  『承知しました。期限は・・』  『いつでもいいですよ』  『そうしていただけるならありがたいです。』とは言ったものの描くのは骸骨でした。しばらく資料を探さなければ描けない状態にありました。それから、暫くして折原さんから骸骨の模型をプレゼントされ描く気持ちが高まり制作する意欲が湧いてきました。そして、約一年後、作品は完成して折原一さんにお送りしました。大変喜ばれ部屋に飾って頂いたただき、HPのトップ画面にも登場させて貰っています。

~その後、作品『死と少女』を見つけてから一週間と間を空けず、当時コレクター氏に預けた自画像作品が出てきました。某オークションで見つけました。この作品も手元に置いておきたい作品だったので、知人に無理を言って代理入札を頼み手に入れました。自宅に送られてきた荷物を、わくわくしながら荷解きをして中身をみると、当時コレクター氏が注文した額縁がそのまま付いていたのです。古くなっていましたが、見憶えのある額縁でした。かなり酷い扱いをされていたことは額の傷み具合から読み取れました。このままでは、飾ることができないので、新品の額に入れ替えると作品は光輝き喜んでいるようにもみえました。

26年前、火事で燃えてしまったと思いこんでいた作品が、巡り巡って自分のところに戻ってくるのですから、驚きました。インターネットがなかったら今でも所在は分からなかったのでしょう。たとえ、所在が分かっても自分の手元に戻ってくるのは稀だと思います。まだ、当時の作品は何処かにあるのかもしれません。特別な思いがある作品だったので戻ってきたのでしょうか。 世の中には不思議なことが多くあると思います。常識では考えられないこと、小説やドラマに登場するような出来事をまさか体験するとは思いませんでした。

  

 『事実は小説より奇なり』~ 骸骨絵の逸話 2005年 9月 

 

長い話にお付き合いして頂きありがとうございました。

『骸骨絵の逸話』 はこれで終了致します。

 

 

戻ってきた作品 『死と少女』 の画像は こちらで見れます。http://orihara1.la.coocan.jp/diary0409.htm

頭蓋骨の裏側 折原一 HP  2004年 9月20日の日記