見えないものを求めて   三輪 修
 
中学2年の終わり頃から画家を目指した。
昼間働きながら夕方から夜中に作品制作の毎日であった。

好きな作家は北方ルネサンスのデューラーやクラナッハであっ た。極薄く何 回も絵具を塗り重ねられ陶器のように堅牢な絵肌が好みであった。濃密な絵具の重なりはだだごとではないと直感的に思った。非常に憧れた。ちょうどフォクソングブームで長髪が流行っていた。16歳の終わりころである。 例に漏れず徐々に髪も長くなっていった。確か18歳頃か名古屋の地下鉄で女性と見間違われ痴漢に遭遇した事があった。これにはびっくり仰天であった。何しろ髭を蓄えた初老の紳士が 私の尻をスリスリしているのだから・・・。紳士はよほど目が悪かったのだろう。
 柔らかい髪が腰まであり、顔が見えなければ女性に見えるのかもしれない。ある種のトリックである。
   フランス語でtrompe l'oeil(トロンプルイユ)いわゆる『だまし絵』のパフォーマンスを地下鉄で無意識に仕掛けたようなものである。その初老の紳士の顔は今でも覚えてい るが自慢できるような出来事ではないのは言うまでもない。苦笑
 
現在、写実絵画を描いているが、これまでに色々なスタイルを勉強してきた。キュビズム、シュールレアリスム、抽象主義、ミニマリズム、様々を組み合わせて試作した。しかし、長続きはしなかったので中学生の時に描いた、スケッチから出直す事にした。
34歳であった。所属している公募団体白日会では写実的な細密描写が増えてきた時期でもあった。『神は細部に宿る』という。事物の細部を描く事は、苦しくも楽しいのだ。
生来の変わり者には都合がいいのか今のところ続いている。
今後、老眼が進行し体力的に細かい描写ができなくなるのかわからないが、写実作品を生涯描き続けるつもりである。細密描写を駆使して、だまし絵風作品も描いてみたいと思ってる。
 私が思う絵画とは、キャンバスという平面の中にもう一つの現実を作り出す事である。油絵具が物質になりきるまで絵具を重ね続け、その先に『見えないものの存在』を表現できないかと筆を握る毎日である。

 

    

                                                                                                               2022/6月 記